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黄金堂(国指定重要文化財・日本遺産)

黄金堂について

黄金堂こがねどうは、三十三体もの聖観世音菩薩の御像を本尊としてお祀りする御堂(国指定重要文化財)で、現存する羽黒山内の建築物で最も古く、羽黒山上の三神合祭殿(かつての大金堂)と対をなす、大変重要なお堂です。

正善院の道路の向かい側に国指定重要文化財の「黄金堂」が建っています。前面道路の拡幅により分断された形となっておりますが、かつては黄金堂と正善院は地続きで広大な境内を誇っていました。現在は正善院の本堂という位置づけです。神亀じんき5年(728)聖武天皇の勅願により建立とも伝えられておりますが、それを証明する品物や記録の類は現存していません。現在、最も有力と見られているのは、建久けんきゅう4年(1193)源頼朝が家臣に命じて建立したという説です。

源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡ふじわらのやすひらの討伐に際し羽黒山に戦勝を祈願し、平定後に羽黒山の所領6万6千貫を安堵し、守護地頭不入の地と定めました。さらに報恩感謝のため、当時作事奉行職にあった土肥どひ実平さねひらに命じて山上の大金堂を修造のうえ、門前町の手向に小金堂を建立、三十三体の聖観世音菩薩像を配し、東国三十三ヶ国の総守護としたと伝えられています。

こうした伝承は、昭和39~41年に実施された黄金堂の解体大修理の際、鎌倉以前の古材が多く発見されていることからも裏付けられます。また、本尊の聖観世音菩薩像について、当時奈良国立博物館館長だった仏教考古学者の石田茂作博士の証言によると、「三十三躯の観世音菩薩は藤原時代のもの」だとされています。この説を全面的に支持すれば、源頼朝が活躍した時代以前からこの御堂が存在していた可能性も否定できませんが、真実は観音様以外、誰にも分かりません。

明治になるまでは羽黒山上の御本社(現在の三神合祭殿)は「寂光寺大金堂じゃっこうじだいこんどう」と呼ばれ、それに対し、麓の黄金堂は「小金堂しょうこんどう」と呼ばれていました。文禄頃(1592~1596)から「こがねどう」と呼ばれるようになり、黄金色に映える三十三体の聖観世音菩薩のお姿から、いつしか「黄金堂」と表されるようになりました。黄金堂は現存する羽黒山内の建築物で最も古く、羽黒山上の大金堂と対をなす、重要なお堂です。

堂内に入ると、正面に一際大きな座像三体と、これを取り囲むように三十体の等身大の立像が並んでいますが、この三十三体全ての観音さまをご本尊としてお祀りしております。

そもそもこの「三十三」という数字は、まず第一に観世音菩薩が三十三の御姿に化身して衆生救済することを説く、『妙法蓮華経(法華経)』という経典の「観世音菩薩普門品第二十五」の説に基づきます。そしてさらに、かつての日本の国土六十六ヶ国のうち、東半分の三十三ヶ国という意味も含まれていますが、これは羽黒山の勢力範囲が日本の東側半分を占めていた、という威勢と誇張によるものです。

また堂内には、かつて山上の大金堂でお祀りされていた御本尊、出羽三山大権現(大日如来、阿弥陀如来、聖観世音菩薩)をはじめ、五重塔の御本尊、羽黒三所大権現(聖観世音菩薩、妙見菩薩、※軍荼利明王は紛失)、弁天堂(現在の厳島神社)の御本尊だった宇賀弁財天など、出羽三山信仰を現在に伝える約80体の尊像を安置しています。正面の御本尊を参拝し、堂内回廊を時計回りに進むと「出羽三山立体曼荼羅」として、江戸期に盛行した出羽三山参りを皆様にも追体験していただけるよう、羽黒山~湯殿山の参詣の流れに沿ってお像を配置しています。

※入堂拝観料 ¥300-

境内案内図

境内詳細案内図(PDF)

宝珠

黄金堂の頂上に、一見、大きなタマネギ形の飾りが載っています。これは宝珠と呼ばれ、仏さまの霊験を示す宝のたまを表します。別名、如意宝珠にょいほうじゅ摩尼宝珠まにほうじゅともいい、サンスクリット語では「チンターマニ」といって「意のままに願いを叶かなえる珠」を表します。
宝珠は、地蔵菩薩・虚空蔵菩薩・如意輪観音といった菩薩の持物であり、菩薩の衆生救済の誓願を象徴するもの、仏そのものとして祈りの対象でもあります。
寺院以外の建造物の装飾にも宝珠と同じ形の物を見ることがありますが、これは「擬宝珠ぎぼし」と呼ばれるもので、文字通り、「宝珠に凝らしたもの、模したもの」です。写真の銘文が刻まれた宝珠は現在の一代前のものです。

宝珠銘文

上杉家の重臣・直江山城守兼続なおえやましろのかみかねつぐ、酒田城主・甘粕備後守景継あまかすびんごのかみかげつぐによる文禄の大修理のことが刻まれている。

羽黒山長寿寺
金堂宝形之事
令建立
大施主直江山城守
藤原朝臣兼統
同施主甘糟備後守
寂光寺法頭清順法印本願
於大浦伊藤助右工門
家次作之
文禄伍年丙申早苗月三日
敬白

黄金堂仁王門(県指定文化財)

 仁王像は寛永10年(1633)、羽黒山第四十九代別当・宝前院宥俊の発願による、京仏師・康音こうおんの作。康音は「本朝大仏師正統系図」に定朝丹二十三代の正系仏師として名を連ねる名工で、日光東照宮や比叡山延暦寺に納入された数多くの仏像その他彫像に携わりました。

 

梵鐘(市指定文化財)奉納元禄十三年(1699)

全高108.0cm 直径75.5cm 厚さ7.7cm 上部蛇頭
制作:江戸神田銅町鋳物師片岡伊左衛門

現在、黄金堂境内にある梵鐘は、元は荒澤寺の常火堂にあったものです。朝鮮様式の鐘と言われ、鐘の四方に仏像が打ち出してあり、縁には唐草模様があしらわれています。一見して分かるのは「乳」と呼ばれる突起がありません。この鐘を鋳造する際に、吉原の花魁衆が髪に挿した金銀のかんざしを抜いて炉に投込み、それを溶かして鋳たものと伝えられています。音色もどこか艶っぽいと言われているのはそのためです。黄金堂に元々あった梵鐘は、明治初期に小学校の建設資金に充てる為に売却され、失われてしまいました。

閻魔大王

黄金堂の境内にある閻魔大王の石像は、元は羽黒山石段参道の継子坂を下ったところにありました。神仏分離の際、宮司の西川にしかわ須賀雄すがおが石工に命じて、これを打ち壊そうとしましたが、誰もが怖がって手をかけようとはしませんでした。そこで西川は祝詞のりとを奏上し「閻魔の魂を抜いたから、もう大丈夫だ」と言いました。石工が恐る恐るタガネを当てると、その瞬間、閻魔さまがギラリと眼を光らせて 「イデッ」 と叫んだ。これにはさすがの西川宮司も肝をつぶして壊すのを止めさせました。石像の背中が少し欠けているのは、この時にタガネを当てた痕だと伝えられています。また、この閻魔さまに香煎(麦こがし)をあげると歯痛が止まり、クルミの実をくわえさせると、歯が丈夫になるといわれています。

一ノ鳥居(市指定文化財)正徳六年(1716)

寄進:鶴岡市新町深野藤右衛門

現在、出羽三山神社の随神門の前にある一ノ鳥居は、享保四年正月十八日最上川筋沢新田より石鳥居を運び、黄金堂の前に建てられました。碑文には「正徳六丙申(※1716)天 五月吉祥日 奉納羽黒三所大権現寶前 華表一基 願主 鶴岡深野氏」と刻まれています。昭和37年6月に、道路拡幅工事に際して石燈籠とともに現在地に移動されましたが、明治以前は黄金堂の前のあたりに鳥居が立ち、ここが羽黒山の入口でした。このため、麓の黄金堂(小金堂)へ参拝の後、山頂の大金堂(現・三神合祭殿)、奥之院の荒澤寺を参拝して初めて羽黒山の参拝が成就したことになります。

黄金堂沿革

建久4年(1193) 源頼朝が家臣の土肥どひ実平さねひらを作事奉行として建立。
元応2年(1319) 出羽国総判官代栄により大修理を施工。応化堂と呼ばれる。
文禄3年(1594) 酒田城主甘粕備後守景継が大修理を施工。この時屋上に青銅製の宝珠が上げられた。
文禄五年完工。同年4月11日入仏供養。ほぼ再建したことに等しい。
寛永年間
(1624~1645)
堂内の墨書きなどから数度の部分修理が施工された可能性が高い。
延享元年(1744) 正面側屋根を葺き替え。
文政12年(1829) 内陣二重床張、須弥壇構えの改変、正面側両端を花燈窓かとうまどとした。
向拝縋破風こうはいすがるはふ向拝飛檐垂木こうはいひえんたるき、軒板の交換。
明治12年(1879) 内陣中央の仏壇を半間後方に突き出す。
明治18年(1885) 当時の内務省より古社寺保存金下付。
明治25年(1892) 庄内全域の篤志家の寄進を仰ぎ修理が加えられ、建立七百五十年の記念法要を厳修ごんしゅ
明治41年(1908) 特別保護建築物に指定。
大正6年(1917) 風災による倒木による破損のため東南隅屋根の飛檐隅木ひえんすみき飛檐垂木ひえんたるきの数本と
軒板等を交換、小屋組みを補強。
昭和4年(1929) 国宝建造物に指定。
昭和25年(1950) 国指定重要文化財に指定。
昭和35年(1960) 防災設備児童火災警報装置工事完了。
昭和39年~41年(1964~1966) 当山八十六世島津愿道朝海しまつげんどうちょうかい
大阿闍梨により、解体大修理。詳細な調査を行い、当初の形式、技法、後世の修理内容を明らかにし、資料の確実なものは出来る限り旧形に復した。茅葺きの屋根を茅葺き型銅板葺きに改め、基壇石垣の据え直し、周囲地盤の起伏を整地。付帯工事として避雷装置、堂内電灯工事を施工。
平成26年~28年(2014~2016) 当山八十七世島津慈道弘海しまつじどうこうかい大阿闍梨により平成の大修理施工。屋根銅板の吹き替え、小屋組みの解体修理、建物の傾斜修正を施工。付帯工事として雨落溝の設置、消火ポンプ室改築、消火ポンプ、放水銃の改修、監視設備の設置、避雷設備の更新を完了し現在に至る。

黄金堂仏像について